手のかかる赤ちゃんが2人おり、その中で長男を勉強させる状況下、次男をほったらかしにしてはいけない!と、我が家では次男も長男と同じように勉強させています。 その中で気付いた子供の持って生まれた能力差について書いていきます。
平等に育てるという難しさ。
長男と次男の違い
長男が生まれたのは2011年。
その頃の私は若く、元気で、子供には自分の出来る限りの事をしてあげたい!と、0歳から読み聞かせ1日20冊、ベビーマッサージ、ベビースイミング。 1歳からはベビー公文、運筆、ひらがなの暗記、トイレトレーニング…と、とても力を入れて育てていたように思います。
しかしながら、次男の時は、長男の経験をもとに、あまり早期に力を入れなくとも、適齢になればなんの無理もなく自然にできていくことが多いことに気づき、あまり知育にも教育にも力を入れませんでした。
違いから生じたこと
同じ家庭で育てても、兄弟の生まれ順、親の関わりにより、その時々でできること(能力)は変わってきます。
2歳で鉛筆を持って文字を書いていた長男と違い、次男は3歳で幼稚園に入園するまでひらがなすら読めず。
5歳になるまで文字すらかけませんでした。 5歳まで毎日10枚の公文の算数をこなしていた長男と違い、何もしてこなかった次男は計算ももちろんできませんでした。
では、親の手抜きのせいで子供がバカになるのか、と言うと、それだけではありませんでした。
能力差によって埋まっていく差
コロナを機に、いつでも日本に帰れるように中学受験の準備を始めました。
長男が勉強する際、冒頭に書いたように長男だけではなく、次男のことを放ったらかしにしないためにもいくつか課題を与えています。
長男が出来るようになるのに何年もかかった足し算引き算の暗算も次男はすぐにできるようになり、今では長男が次男より1つ年上の時に苦労して学んだ割り算やかけ算の筆算も、数回教えただけで自力で解けるようになりました。
能力差を埋めるのは継続した努力しかない
未来の子供の能力はわからない
今、次男の物分りがいいからといって、これは永遠に続くものではありません。 どこかで手を抜いたり、何かにつまづいたりしてしまうことだってあると思います。
もしかしたら数年後、長男の能力が開花しているかもしれません。
そのため、現時点での完成度によって、この子が出来る子なのか、そうでないかをジャッジすることは意味のないことだと思います。
生まれ持った能力差はある。
しかしながら、生まれ持った能力差というものは確かにあるなと思います。
2歳の頃の動画を見てみると、大人のように話す長男と、まだ三語文を話す2歳3ヶ月の娘では、言語能力の差は一目瞭然です。 (とはいえ、娘はタイ語も話すことができますが。)
次男が物分りが良いのは適齢期に始めたからか、とも思いましたが、勉強を進めるにつれ、長男が同じ頃に理解し、覚えるのにとてつもなく苦労した割り算の筆算や複雑な和差算を1回読んだだけでさらっと理解してしまう次男を見ていると、どうもそれだけではないようです。
同じ親から生まれた子供でも、能力差はあるのだなと思います。
子供によって違う。
結局、子供によって割かなければならない時間も、勉強量も、大きく異なるります。 我が家は時間や工程数のかかる長男が1番上だったことから2番目以降はこの数を子供によって減らしていけば良いのですが、1番上の子供が物分りの良いタイプだとこれが難しかったかと思います。
最後に
知育は意味がないのか
適齢期になれば無理なくできるようになるのであれば、知育は意味がないのか。と捉えられるかもしれませんが、意味はあると思います。
長男はそこまで理解力が高いタイプではなかったため、早期に対応しておいたおかげで大きく勉強から遅れることなくこれまでやってこれたのだと思います。
早くお話ができたり、文字が読めたりかけたりすることで、自分のことを表現することに対する苦手意識もなくなります。 ・・とは言いつつ、そこまで力をかけてあげられていないのが現状ですが。
何人目でも焦る
3人目の娘は9月に2歳になりましたが、2歳当初ほとんど話すことができませんでした。
上二人は保育園に通っていたので、私の育て方に問題があったのかとずいぶん悩んだものですが、2歳を過ぎ、週に1回幼稚園に通うようになったところ、急に言葉数が増え、本人の日本語への意欲も上がりました。
俗に言う3人目の余裕というものは、私に限っては一切当てはまりませんでした。とても悩みました。
これからも、長男次男の時とはまた別の長女、三男の個性で悩み、考えながら子育てしていくのだろうなと思います。 本日もお読みいただきありがとうございました。